レフリー

村上晃一氏のところから。
レフリングに思うこと

選手が気持ちよくプレーできるレフリーこそが、高い評価を受けるべきだ。
(中略)
規則をうまく操って一貫性のある笛を吹き、選手の抗議に心を乱すことなく、言葉はあくまで優しく丁寧に、安全でフェアでボールが動き回る魅力的な試合を演出する。選手を、試合を、生かすも殺すもレフリー次第。ラグビー人気上昇の鍵を握るのは間違いなくレフリーである。

いいレフリーは見る側にとっても嬉しいが、なによりプレーする側に気持ちよくプレーさせてくれる。そのことを初めて実感できたのは学生のときだった。
所属していたリーグは一応関東協会の管轄下にあるという程度のレベルであり(対抗戦どころかリーグ戦グループでもない。地区対抗リーグのさらに下の方のブロック)、公式戦に派遣されてくるレフリーは非常に当たり外れが大きかった。今もその辺の事情は変わりがないらしく、現役チームはぼくらの頃よりもレベルが上がったが(地区対抗に加入しているラグビー部自体数が減ったという話もあるが)、たまに現役の試合を見に行くと、なんだよあれ、というレフリーもいるし、おっ、これは、という人もいる。
4年のときの公式戦の二戦目だったと思う。この試合に派遣されてきたレフリーはこれまでの人とは一味違っていた。そもそも試合前の服装のチェックからして何だか違う。大抵のレフリーはプレーヤーが一人一人が足を上げてスパイクの裏を見せるのを(ややおざなりに)チェックするものだが、その人は柔らかな物腰で皆に座って足を伸ばさせ、一人一人のスパイクを確かめた上で、肩を怪我して厚めのサポーターをつけていたプレーヤーに、ルールに沿ったものかどうかを確認していたのだった。
試合が始まってみると、ゲームのコントロールがものすごく上手だった。スクラムを組ませるときのコールの間合い、反則のときの簡潔で当を得た説明、そして選手とのアイコンタクト。ぼくらの下手さには目に余るものがあったに違いないが、プレーする側にとってはいつもより上手にプレーできるような気がしたものだ。
この試合ほど気持ちよくプレーできた試合は後にも先にもない。このときのレフリーが、現在A級になっている谷口和人氏だったことを偶然に知ったのはその試合から何年か経ってからのことだ。ちょうどC級からB級に上がったばかりの時期だったために派遣されてきたようである。